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夢二展みどころ
夢二は、1931(昭和6)年から2年4ヶ月もの間、念願の外遊に出ます。しかし、アメリカに始まり、ドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスと欧州各地を巡る旅は、友人との決別、体調不良、旅先での個展の不振など、決して良い思い出ばかりの旅ではありませんでした。そして、外遊から帰国した翌1934(昭和9)年に、誰かに看取られることもなく、一人寂しい死を迎えます。
今回は、これまでにほとんど公開される機会がなかった外遊時代のデッサンやスケッチを公開します。これらは、1973(昭和48)年、画集『竹久夢二滞欧作品集』に収録され、東京の画廊で初公開されて以来、作品の所在が掴めず幻の作品となっていましたが、日本有数の竹久夢二コレクターとして知られる中右瑛氏の尽力により、本展での公開が可能になりました。ウィーンで描かれた、珍しい夢二の油彩画《扇をもつ女》もあわせてご覧ください。






1884(明治17)年9月16日。岡山で生を受けた夢二は、何不自由ない環境のなかで浄瑠璃や農村歌舞伎、そして絵の好きな少年として育ちました。1901(明治34)年に上京し、現在のグラフィックデザイナーとして注目を集める一方で、資金繰りのために各地で本画(肉筆画)による個展を開催しました。夢二スタイルを確立したといわれる貴重な肉筆画には、様々な人間模様や夢二自身の恋愛模様、そして日本情緒が描かれています。









1914(大正3)年10月、日本橋呉服橋近くに、タマキの店「港屋」が開店します。夢二がタマキと子どもたちのために開かせたこの店では、木版画や石版画、少女たちが好む日常の品々など、夢二がデザインした様々な品物を売っていました。港屋で売られていた版画は、夢二の版画作品の中では早期のもので、オリジナルはとても希少です。
あわせて、夢二が表紙や口絵を手掛けた雑誌『婦人グラフ』も紹介します。当時、夢二の人気にあやかって、この雑誌は飛ぶように売れました。





夢二は、「メモ魔」といわれるほど、記録ノートが多いことでも有名です。「AGENDA」(議事録)と刻印された小さなノートには、日記やメモのほか、彦乃と思われる鉛筆デッサンの美人画が多く描かれています。目に映った人物や情景を自由に描いたスケッチ画やデッサンは、当時の夢二の心情や日々の断片を知るための貴重な資料となっています。


夢二がグラフィックデザイナーの先駆けと言われる理由として、本の装幀が挙げられます。なかでも、「夢二」の名と作品を広く世に広めた「セノオ楽譜」「中山晋平作曲全集」の表紙は、当時の少女たちを中心に、爆発的な人気を博しました。また、夢二は名曲「宵待草」の作詞家としても才能を発揮し、音楽の世界でも名を残します。モダンでありながらも、どこか懐かしさを感じさせる夢二の音楽的世界を紹介します。


